任天堂のゲーム機の売上は!?その歴史と今後の期待について

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任天堂と言えば、ポケモンなど数々のヒットゲームを世に出しました。

ただ、任天堂はゲームソフト会社では無く、

オモチャメーカーと言えます。

今日は、任天堂のゲーム機の売上とその歴史、

そして、今後の期待についてです。

任天堂のゲーム機の売上は!?その歴史と今後の期待

★任天堂のゲーム機の売上と歴史

ゲーム制作会社として名高い任天堂は、1889年に京都市下京区で「山内房治郎商店」として誕生しました。

自分が小さい頃からすでに有名で当時は、花札やトランプぐらいしか無かったような気がします。

将棋や軍事将棋などもそうだったかもしれませんが何と言っても当時は、

「花札」が有名でしたね。

その頃は、今のようなゲームを開発するとは思ってもいませんでした。

その後、1980年に携帯型ゲーム機型の「ゲーム&ウオッチ」を発売し、

1960〜1970年代の借金を完済しても余りあるほどの大ヒットを記録しました。

1982年8月決算の売上高は、な、なんと661億4100万円!!!

営業利益は227億200万円の黒字となったそうです。

その後も、急速に発展を遂げ1983年に家庭用テレビゲーム機「ファミリーコンピュータ」(ファミコン)を発売。

アラホー世代には懐かしい『スーパーマリオブラザーズ』が爆発的なヒットを記録しました。

1990年にはファミコンの次世代機「スーパーファミコン」を発売し、

前年に発売したゲームボーイの大ヒットも手伝い、1990年初頭に最盛期を迎える事となりました。

1989年からはソニーと提携し、スーパーファミコン用CD-ROMドライブ拡張機器の共同開発を行うなど

名実共にゲーム業界のトップと成りました。

その後あの一世を風靡した不滅の名作「ポケットモンスター」を発売し、

ゲーム=任天堂

と言う図式が一般化されました。

しかし、苦戦もかなりしてきています。

たとえば、任天堂自体はファミコン・スーパーファミコン時代よりソフト開発が早くなったと言っていましたが、

発売当初のキラーソフトの一つ『ゼルダの伝説 時のオカリナ』が2年も発売が遅れるほど

ハード機能に依存した製作と成り、ほぼ時期を同じくしてNINTENDO64の発売直後に出るはずだった

周辺機器『64DD』も暗礁になってしまいました。当初はハードになるはずだったんですが、

様々な構想が消えては生まれる状態が起き、そのたびに開発延期が繰り返されると言う悪循環を招き、

最終的には、発売が遅れすぎたのが響き、ほとんど定着しない結果と成ってしまいました。

今のゲーム業界はグリーやモバゲーと言った、

ネットを利用した企業が力を付けてきて押され気味の任天堂では有りますが、

いつしかまた、大ヒットを飛ばすのでは?

と個人的には思ってます^^

★任天堂の今後の期待について

現在、3DSのような携帯専用機ではスマホに勝てない時代になった為、

任天堂はNintendo Switchという据置き機と携帯機を兼ねるゲーム機を開発しました。

これは、

PSvitaが思うような成果が得られずやもなく、

生産終了し、SIEが携帯専用機から撤退したためです

その理由は、スマホに勝てなかったからです。

任天堂は携帯専用ではスマホに対抗するのは厳しいことを予感し、

3DSの後継機は出さないつもりなのかもしれません。

しかし、

子供たちに携帯機の需要があるので、

据え置き機や携帯どちらでも使える便利なモノを思い付いたのがSwitchでしょう。

あまり思いつかなかった、ビックリするようなモノなのがSwitchかもです^^

これならば、

据え置き機ユーザーでも携帯ユーザーでも、どちらの人にも買ってもらえますからね。

有り難い事です^^

ちなみにSwitchはPS3以上の性能はあるようなので、

普通に使うだけなら十分すぎる性能だと思います。

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