明智光秀 本能寺の変の真実とは!織田信長を殺した理由と黒幕説!!

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歴史最大のミステリーと言われている、

「本能寺の変」

歴史好きでなくとも、知らない人はいないでしょう。

ですが何故、明智光秀は主君である織田信長を討ったのでしょうか。

今日は、

織田軍団最強の宿老、明智光秀の謀反に迫ります。

明智光秀 本能寺の変の真実とは!織田信長を殺した理由と黒幕説

★明智光秀が本能寺で織田信長を討った理由とは?

明智光秀が、本能寺において

主君、織田信長を討った理由は

歴史学者により、いくつかの説が有りますが、

大きく分けて、

「明智光秀の個人的な恨み」
「光秀の天下取り」
「家康、秀吉、朝廷の陰謀論」

に分かれます。

通説では「明智光秀の個人的な恨み」とされてますが、

実際には不明な点も多々有ります。

明智光秀と織田信長をめぐる本能寺の変の真実とは

どうなんでしょうか?

★明智光秀の個人的な恨み

これは一般的に言われている事ですが、

明智光秀が、織田信長に個人的な恨みを持ち

謀反に及んだと言う説です。

確かに、織田信長のやり方に、

不満を抱いていた事は事実でしょう。

大河ドラマ等でも何度も放送されてますが、

家臣の前で恥を掻かされたり、

実の母を見殺しにさせられたりと、

恨みを抱くのもうなずけます。

更に当時、誰もが神興していた、

石山本願寺や武田家の菩提寺である恵林寺

焼き払い、僧侶はもとより女子供まで皆殺しに、

朝廷をも、愚弄する信長に、

正義感の強い光秀が、

謀反に及んだと言う説です。

確かに、言われてみれば納得ですが、

明智光秀は、後先を考えず行動するようなタイプでは無く、

先見の明が有る武将だと言われていました。

冒頭でも話したように、明智光秀は決して無謀な武将では無く

文武両道に秀でた織田家中屈指の名将です。

そんな理由から以下のような仮説も言われています。

★光秀の天下取り

明智光秀は織田信長を討ち、

自ら天下を捕ろうとしたと言う説です。

確かに当時、織田の主な武将はみな離れていました。

柴田勝家は北陸、羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)は中国、

徳川家康は堺にいましいたが、

物見遊山の為、兵はほとんどいない状態。

明智光秀が織田信長を討ち、

天下を狙うのは正に好期と言えます。

信長親子を倒し、

素早く山城国(現在の京都)周辺を平らげ、

信長にまだ屈していない大名と手を結べば、

天下を捕る事も夢ではないかもしれません。

ただ、

光秀が天下を捕る為に信長を殺したかどうかは微妙です。

後年、盟友で有った細川氏に送った手紙が見つかったそうです。

そこには、

「力を貸してほしい、事が収まれば私は隠居する

と書かれてたそうです。

今と成っては不明ですが、

この手紙が本物なら、明智光秀の天下取りの野望は、

無かったと思います。

★家康、秀吉、朝廷の陰謀

陰謀説は色々論議がされています。

個々に組んでいたと言う説や、

数名での陰謀など、様々な説が有ります。

ここでは、特に陰謀説が強い、

家康、秀吉、朝廷について簡単に

その可能性を探ってみたいと思います。

1・家康の黒幕説

信長の盟友、徳川家康が黒幕とする説です。

家康陰謀説については

本能寺の変431年目の真実 [ 明智憲三郎 ]

を元に前回の記事で触れてるので、

詳しくはこちらをご覧ください。

本能寺の変の黒幕は家康だった?解き明かされる歴史のミステリー 

2・秀吉の黒幕説

信長の家臣、羽柴秀吉(豊臣秀吉)の陰謀とする説です。

確かに、信長が殺されて一番得した人物は誰かと言えば

結果的には秀吉です。

当時、毛利氏と対峙していた秀吉が、

何故、あんなにも早く帰ってくる事が出来たのかは

いまだに謎です。

また一説では、

軍師である黒田官兵衛が進言したとも言われています。

秀吉黒幕説で有力なのは、

秀吉と光秀が密かに密約を交わし

それを秀吉が破ったと言う説ですが、

リスクを思えば有りえないと思います。

何故なら、

光秀が、自軍以外の武将(たとえば丹羽や織田信孝あたり)

の捕虜になって、全部暴露されたらえらいことです。

山崎の合戦までが秀吉光秀の共謀で、

光秀は討たれておらずひっそり生きているという

可能性もありますが、

事情を知らない他の武将に討たれる可能性があります。

もし、秀吉が黒幕でその動機が次の天下人であったなら、

次の後継者の信忠にも兵を差し向けていたでしょう。

その形跡がないのが、黒幕ではない証拠ではないでしょうか。

3・朝廷の黒幕説

朝廷が黒幕ではないかと言う説です。

朝廷は織田信長に、

関白でも将軍でも好きな官位を授けると言ったそうですが

信長はそれらをすべて断り、

なんと、

将軍足利義昭を京から追放したのち、

右大臣の官位も返上しました。

しかも、元号を変えよと朝廷に迫りました。

信長の武力を恐れた朝廷は、

元号を改めたそうです。

織田信長はすでに朝廷を見下し、

家臣同様に思っていたのは明らかです。

朝廷黒幕説は、

秀吉黒幕説よりは可能性が高いと思はれます。

なぜなら、

明智光秀は朝廷と親密な関係に有った事が判明しているからです。

朝廷は、明智光秀をとても信頼してたそうです。

朝廷を否定していた信長を、

明智光秀に殺させたと言うのが、

朝廷黒幕説ですが、

それならそれで疑問が残ります。

明智光秀が天下国家の為に、

天魔と化した信長を殺したのなら、

それを唄えば、状況は変わったかもしれませんが、

残念ながら、そう言った史実は残っていません。

では、朝廷黒幕説は間違いかと言うと

そうとは言い切れません。

なぜなら、明智光秀があえて、

朝廷に迷惑を掛けないように、

隠したとも考えられるからです。

★本能寺の変の真実まとめ

今でも多くの歴史学者が、

その真相を探っている、

「本能寺の変」ですが、

明智光秀と織田信長の関係や性格、

そして二人を取り巻く、

徳川家康や羽柴秀吉

そして朝廷と様々な人間模様が窺えます。

450年以上も前の事など、

正確には、だれも解りませんが、

今なお論議されるのは、

明智光秀や織田信長と言う人物の魅力なのかもしれませんね。

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コメント

  1. 町内会副班長JAPAN より:

    信長を殺害した黒幕は光秀ではなく秀吉だとか家康・イエズス会だとか色々言っている者がいるが、明智の単独犯行だと思う。

    明智光秀には織田信長を殺害する理由が揃っている。
    秀吉が主犯ならなぜ明智と天下を分けるほどの戦をする必要があったのか?
    家康が黒幕になるほどの軍勢を連れて行ってなかった。

    イエズス会も庇護してくれている織田を倒すほどの軍勢を持っていなかった。
    強大な兵力を持っていたら危険宗教とみなされ本願寺のように潰されていた。

    明智が織田を討つ決定的な動機は母親を見殺しにされたこと。
    自分の母親が見殺しにされたのを怨まない人間がいるだろうか?

    領地の転封などはこの時代よくあること。
    自分より下だと思っていた秀吉の下につく命令を出されても従うしかないのはわかっていたはず。

    必ず成功させないと今度は自分や一族が危なくなる。
    虎視眈々と狙っていたところ明智に千載一遇のチャンスが訪れた。

    本能寺のあとに細川・高山・筒井などをあてにしてたのも想像がつく。

    態勢が整わないうちに明智を打ち取ろうとしたのもその手段として中国大返しをとったのも手段としては正しいが、その作戦を立案したのは秀吉か秀長か官兵衛かは不明だがその3人の誰かだろう。