身体に障害が有る人たちが、
栄光を競うパラリンピック・・・
オリンピックとはは別に、
多くの人たちに感動を与えるイベントと言えます。
パラリンピックは、
1948年7月28日、ロンドンオリンピック開会式と同日に、
イギリスのストーク・マンデビル病院で行われた
ストーク・マンデビル競技大会が元だそうで、
1960年に、オリンピックが開催されたローマで、
国際ストーク・マンデビル競技大会が開催され、
この大会が、第1回パラリンピックと呼ばれています。
パラリンピックの語源は、
「パラレル(Parallel=もうひとつの) 」+「オリンピック(Olympic)」
という2つの単語を組み合わせ
「もうひとつのオリンピック」で、
「パラリンピック」と成りました。
パラリンピックの意味ですが、
「パラリンピック」の名称は、
半身の不随(paraplegic)+オリンピック(Olympic)の造語です。
なので、
パラリンピックの意味と意義は、
福祉だけでなくスポーツ文化全体の発展につながる
「文化」としての理解と支援と言えます。
中には、「パラリンピックなんて意味がない」
と仰る方も少なからずいるようです。
「パラリンピックなんて意味がない」派の人たちの多くは
「健常者には関係ない」
と言いますが、
確かに、
スポーツに興味や関心が無い人には
オリンピックだろうとパラリンピックだろうと関係ありませんし何の意味もありません。
ですが、スポーツに関心が有る人には
大きな意味が有ります。
なぜなら、
「一生、健常者」で有る保障などどこにも無いからです。
「障碍者は関係ない」と言えるうちはまだしも、、
いつ何時、自分に降りかかって来るかは、
誰にもわかりません。
障害者に関する考え方は、人それぞれですが
自分が同様の状況や境遇になった場合を考える想像力の問題と言えます。
障害を持つ人たちは、好きで成ったのではなく、
不幸にして、ハンデ背負った人たちです。
歩くのもままならない人たちが、驚異の精神力と不屈の努力で、
パラリンピックで競う姿は、健常者も大いに、
学ばなければ、ならないと個人的には思っています。
不自由な体にも関わらず、自分の可能性を信じ、
不屈の闘志で懸命に闘う彼らこそ、本当の勇者なのかもしれませんね。