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鎌倉幕府の真実とは!?不運の武将、源義経について

鎌倉幕府は1192年、源頼朝が、今の鎌倉市に幕府を開いたのが始まり・・・

と昔は教科書で習いましたよね?

必ずと言って良いほど、

日本初の武家国家の誕生した西暦はテストに必ず出ましね。

そしてみんな、

「いいくにつくろう鎌倉幕府」と覚えたものでした。

今日は、そんな鎌倉幕府の真実と源義経についてです。

★鎌倉幕府の真実と源義経について

冒頭でも述べましたが、

鎌倉幕府の成立は「いい(11)く()に()つくろう鎌倉幕府」

1192年と覚えました。

しかし、

2006年ごろから「違うんじゃないか」と言われ始め、

2007年には歴史の教科書の内容も改訂、

今ではほとんどの教科書が1185年説を支持しているんだそうです。

なので、語呂合わせも

「「いい国作ろう鎌倉幕府」から「いいはこ創ろう鎌倉幕府」に変更されたそうです。

実は、1192年に幕府を開いた根拠として任命された征夷大将軍という地位は、

頼朝が朝廷から軍事権力を奪うためにあえて任命させた官位で、

地位としては1190年に任命された右近衛大将よりもずっと低いものだったそうです。

右近衛大将は武家の最高位でしたが、天皇の近衛兵と言う立場だったため、

わずか10日ほどで辞退したそうです。

鎌倉幕府成立が1185年に改正された理由の一つは、

1185年に源頼朝が朝廷に全国への守護・地頭の設置を認めさせたことから、

実質的な支配が頼朝に移ったと考えられるためだそうです。

同年、源義経を総大将に壇ノ浦の戦いで平家を破ったこともその一因とみられています。

兄弟力を合わせ親の仇である平家を討った頼朝と義経ですが、

朝廷の画策により仲たがいとなり、

平家打倒の最大功労者、源義経は藤原秀衡を頼りましたが秀衡の死後、

頼朝の追及を受けた当主・藤原泰衡に攻められ衣川館で自刃し果てました。

死ぬ前に秀衡は泰衡他、2人の子供たちに、

こんな遺言を残したと言われています。

「わしが死んだあと、頼朝は必ず九郎(源義経)を差し出せと言ってくるだろうが無視をしろ。鎌倉が攻めてきても九郎どのを総大将にすえて応戦すれば負ける事は無い」

ですが、残念ながら嫡男(長男)藤原泰衡は親の遺言を守る事が出来ず、

義経を自害に追い込み、あげくの果ては頼朝に責められ滅ぼされてしまいました。

親の遺言を守らず、自滅した一例です。

奥州藤原氏を滅ぼした頼朝は、

完全に天下を我が物にする事になりました。

ですが、

そんな頼朝もその後直ぐに亡くなり

子供達も次々と亡くなります。

その後、鎌倉幕府の実権は妻政子の実家で有る北条氏に移ります。

諸説では、頼朝の死も子供たちの死も北条氏の企てたものだと言う説も有ります。

これにより鎌倉幕府は続きますが、源氏はわずか三代で絶えてしまいました。

歴史にもしもは禁物ですが、

天災的な軍事センスを持った義経が生きていたら、

北条氏の天下にはならなかったかもしれませんね。

★鎌倉幕府の真実と源義経についてのコメント

この記事は、昔のブログからの転載の為、当時のコメントも記載しておきます。
尚、記事は若干変えています。

対馬太郎義信

対馬太郎義信と申します。名前からお察しがつくように、平安後期の清和源氏にはちょっとうるさい人間です。教科書は知りませんが、もう50年近く前に読んだ中央公論社の「日本の歴史」には、鎌倉幕府の実質的な成立は1185年であることがはっきり書いてありました。理由は書いておられる通りです。それと義経の死後、すぐに頼朝が死んだように書いておられますが、実際は9年後です。義経が生きていたら?(私は北の大地に逃亡したと思っていますが)局地戦では勝ったかもしれませんが、まず覇権を握ることは無理だったでしょう。なぜなら彼は典型的な軍人で、政治家ではなかったからです。知ったような口をきいてすみません。ただちょっと気になったもので。
by 対馬太郎義信 (2014-11-30 22:23)

対馬太郎義信さん。

コメント有難うございました^^

当時は、色々と忙しく返信できませんでしたが、確かに義経は典型的な軍人で武勇優れる武将でしたが政治家では有りませんでしたね。

そこが、

頼朝との関係悪化につながったのだと思います。

頼朝は、弟を討った事を後悔したかどうかは解りませんが、

頼朝の決断は仕方が無かったのかな~

とも思います。

ただ、

頼朝も、弟の義経と今後についてしっかりと話し合うべきだったと思います。

もし、そうしていれば

このような悲劇は起こらなかったかもと

個人的には思います

このブログは、

今の管理人は自分では有りませんが、

「歴史」キーワード記事も多いので是非、ご訪問頂けたらと思います^^

最後に、

突然の引越、申し訳ありませんでした。

もんた

 

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