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松永久秀の爆死と辞世の句!弾正 梟雄と呼ばれた男の生涯とは!?

日本で初めて、爆死した松永久秀は、

戦国時代、大和国の戦国大名で官位を合わせた

松永弾正(まつなが だんじょう)の名で知られています。

今日は、そんな松永久秀の爆死と辞世の句についてです。

松永久秀の爆死

松永久秀は斎藤道三、宇喜多直家と並んで日本の戦国時代の三大梟雄とも評されています。

彼はは最初、三好長慶に仕えてましたが、

長慶の死後は、三好三人衆と共に室町幕府第13代将軍足利義輝を永禄の変で殺害し、

畿内を支配し、天下に覇をたてました。

しかし織田信長が義輝の弟、足利義昭を奉じて上洛してくると、

信長に降伏して家臣に成りました。

その後信長に反逆して敗れ、

文献上では日本初となる爆死という方法で自害しましたが、

その後、織田信長も「本能寺の変」で明智光秀に攻められ、

同じく爆死したとされています。

戦国時代で爆死といえば信長と久秀の二人だけのようで、

どうも因縁めいたものを感じますね。

ただ、江戸時代には豊臣秀頼と生母淀の方が、

徳川家康に攻められ、同じく爆死をしています。

松永久秀の爆死は、

何年か前の大河ドラマ「軍師官兵衛」では、

松永久秀が織田信長を裏切った話しの中で、

足利義昭にけしかけられて織田信長に松永久秀が大事にしている平蜘蛛の茶器を渡さなか

ったりしたのが原因のように成っていますが、

一説には若い頃、下克上を成功させのし上がった大名である久秀でしたが、

織田信長の家臣に成ってからは、自身の冷静な考えが鈍り、

年老いて変に頑固で狡猾より強欲さが出てしまい、

抑制が効かなくなり野心爆発したとも言われています。

平蜘蛛の茶器を渡さなかったのも原因の一つには違いはないでしょう。

信長の野望シリーズでも必ずと言って良いほど登場する松永久秀ですが、

彼はそれだけ戦国武将として花が有ったと言えそうです。

松永久秀の辞世の句

彼は、辞世の句で次のように詠ってます。

「平蜘蛛の釜とわしの白髪首の二つはお目にかけたくない」

信長は欲しがっていた名器「平蜘蛛茶釜」を差し出す事を条件に命の保証をすることを約束しましたが、

松永久秀は平蜘蛛の茶釜を首にかけ爆死しています。

松永久秀が爆死した本当の原因は、不明な点も多いようですが

梟雄と呼ばれた男、松永久秀は、あの織田信長ですら、

安心できない人物だったのかもしれません。

信長は、「わしにもできない残酷なことを三つもやってのけた」と称えたそうですが、

油断できない人物と思っていた事も事実だと思います。

戦国の世を生き抜き、

信長に、自分の生きざまを見せつけた松永久秀は、

まさに、「梟雄」と呼ぶにふさわしいかもしれませんね。

⇒ 松永久秀 (シリーズ〈実像に迫る〉) [ 金松誠 ]

 

 

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